たとえば、普段貴方は銀行をどのように利用するだろうか。
『貯金をする』
『車や家のローンを組んで大金を借りる』
『全国のATMから必要な時にお金を下ろす』
仮に投資などを除けば、一般的にこのくらいだろう。
つまり銀行の価値は、“お金の保存能力”と、“お金を貸す融資力”と、“場所を選ばない利便性”にあると言える。
もとよりお金は人間の生活と非常に密接だ。そのお金を便利に扱うことができる銀行は当然、社会的にみて価値が高いだろう。
・・・ところで、貴方はこれらのサービスを利用する際、手数料なるものを支払ってはいないだろうか。
一番身近なもので言えば、コンビニのATMでお金を下ろす際、貴方は数百円を銀行から取られているだろう。
そう、“無人”で、しかも“もっと少ない手数料でも電気代をまかなえるような装置”の利用に、なぜか多くのお金を徴収されているのだ。
おや? そんな銀行を利用している貴方のスマホに『ネットバンキング』なる広告がチラリと……。
手数料を取らないネットバンキング
読んでみると、それは手数料など取らずに“お金を保存し”、“時には貸してくれ”、そして、“スマホをかざすだけで支払いができる”という利便性があるというではないか。
便利な時代になったものだ。
ん? なにか似たようなサービスを自分も使っていたような気がする。
いや……むしろそれよりも劣っているサービスなのに、なんだか毎度毎度、“手数料なるもの”を取られてはいないだろうか。
確かにネットサービスの方が危険だという意見は根強い。
だが今時、全ての情報システムはネットに繋がっているのだし、よくよく考えてみれば、むやみにネットバンキングだけが危険だと言うのは暴論だろう。
であれば、同じようなサービスなら、当然、手数料が無い方がいいではないか。
――こうやって貴方は徐々にATMの利用をやめ、スマホでの決済を当たり前とする。
銀行を利用しているという感覚が薄れ、次第にネットバンキングが当たり前になっていくのだ。
さて。これは、とあるサービスが存在価値を失う、ほんの一例である。
利用者というのは、自分が使う機能を満たせるのであれば、当然、得な方を選ぶ。
インターネットが普及する前ならいざ知らず。今や“サービス同士の比較さえもサービスが行う時代”であるし、どれが自分にとって一番のサービスであるかは判断しやすい。
だから、“同じような価値”を持つサービスなら、あとは“どちらが得か”という基準で生き残るサービスが決まるのだ。
だから従来の銀行は、単に衰退するのではなく、“同様以上の価値あるサービスにすり替わる”カタチで姿を消すのである。
その上“投資”をしてくれない銀行は、若い芽にとっても不必要な存在になった。
蛇足になるかもしれないが、近年では起業をする時でさえも、銀行を利用することは少なくなった。
なにせ銀行は、昔も今も“融資”しかしてくれないからだ。
似た言葉に“投資”がある。それは、ある程度起業家と一緒にリスクを背負ってお金を貸してくれることだが、一方の銀行は、『絶対にお金が増やして返します』という計画書を提出するか、もしくは『返せなかったら、代わりに自分の財産を引き渡します』という確約のもとにお金を貸す“融資”しかしてくれない。
そして、そんな傲慢なことを続けていたものだから、すでに銀行内は、上から下まで“投資”を知っている人間がいないのだ。
要は、起業家と一緒になって“新しい事業を育てる”ことができる銀行マンが、純粋に存在しないのである。
なにせ、まったく経験が無いのだから。
当然、お金について優秀な人材が、素人同然の銀行に集まる筈がない。
メガバンクでもない限り、優秀な若手人材はたちまちベンチャーキャピタルに吸い上げられていくことだろう。
ますます銀行は能力を低下させていく。
今や“すり替えられる価値”となった銀行の未来
さて、これからの銀行は、自分達の存在価値をどうしていくのだろうか。
地方の銀行の再編――『別名:合併による業務の効率化』で生き残りをかけているようだが、はたして“長年、手数料で食べてきた彼等“が、この激動の時代を生き延びることなどできるのだろうか。
ネットバンキング各社は、そもそも手数料で儲けるのではなく、利用者を別のサービスに導くことで利益を上げるスタイルで急成長している。
今まで口を開けていれば手数料が入って来た銀行が、そんな“激しい陣取り合戦”を繰り広げている彼等と対決して勝利するのは、間違いなく至難の業だろう。
だがしかし、国内にはまだ多くの地銀があることも事実。
だから、この激動の時代――その砂粒の中から、今までになかった“おもしろい商売人グループ”が生まれることを、今から期待したい。